
Learn Japanese
in your homeland
by using Skype




鎌倉神社仏閣拾遺集
鎌倉神社編(51) 鎌倉仏閣編(90) 鎌倉寺社跡編(14)
<地域別>
鎌倉駅周辺(16) 北鎌倉駅周辺(16) 二階堂・金沢街道周辺(22)
源氏山周辺(21) 由比ガ浜・長谷周辺(13) 大町・材木座周辺(23)
稲村ガ崎・七里ガ浜周辺(12) 鎌倉山周辺(5) 大船・今泉周辺(25)
<非公開の仏像や撮影禁止場所の写真は鎌倉シニア通信のお寺さん等より引用しています>
このホームページに掲載されている資料を使われる方はご連絡下さい。
<問い合わせ先>
![]()
<左甚五郎の龍>New!
世に伝うる『吾妻鏡』は鎌倉時代研究の前提となる基本史料という点において珍重すべき書物ではあるが、当時の権力者である北条得宗家の側からの記述だから全てに正しい歴史書として見ると疑問の謗(そしり)は免がれぬ。
まして材をその一局部に取って纏ったものを読むとすると到底万事原著による訳には行かぬ。従って歴史小説の如きも作者の随意に事実を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりしてかなり史実から遠いものに改められている可能性も高い。主意はこんな事が面白いからと逆説日本史ではないが。へそ曲がりなりに思ってみようというもので、吾妻鏡が間違っているから吾妻鏡を無視しようというのではない。などと吾の歴史認識が漂流している間に、妙法寺から安国論寺に着く。
安国論寺は日蓮上人が時の最高権力者最明寺入道、前執権の北条時頼に建白した『立正安国論』を執筆した場所と云われている。吾の乏しい記憶では上人の側から提出された立正安国論は幕府には取り上げられず、逆に、度重なる法難を受けたようだ。
日蓮上人の著した立正安国論は、或る点において異端の書の如く、あるいは上人は民衆を惑わすの異端者のような感じがある。
それでも、上人は諦めず、6年後、自ら書き写した立正安国論の写本を、矢木式部大輔胤家に進呈しているという。この矢木式部大輔胤家、吾妻鏡には執権北条時頼の五位の供奉人として名(矢木式部大夫)がある。この一点だけでも上人は幾度となく、書き直し幕府に建白したようではあるが、吾妻鏡には載っていないと覚える。
鎌倉幕府の『吾妻鏡』は歴史を紐解く点において古今の雄篇たるのみならず社会の描写においても十二・三世紀の人間を今日(こんにち)の舞台に躍(おど)らせるような書きぶりでもあるから、かかる古都鎌倉の歴史を説明するには大に参考すべき公式の記録であるのはいうまでもない。元来なら記憶を新たにするため一応読み返すべきであるが、読むと冥々のうちに頭痛がしてくるからやめた方が良い。などと再び吾の歴史認識が漂流している間に、別願時と上行寺の前に立つ。
上行寺の山門の裏側には龍の彫刻がある。作は日光東照宮の「眠り猫」の作者といわれる名工・左甚五郎と云われている。境内には瘡守稲荷と鬼子母神が祀られていおり、「薬王経石(やくおうきょうせき)」という大きな黒い石が置かれている。この石は、当病平癒や悪病除、苦しみや心の安らぎにご利益があるそうで、薬石で患部をさすることで痛みや苦しみが楽になるとのこと。別願時に寄り、大町四ツ角よりバスで鎌倉駅へ戻る。